英国貴公子たちの過去、現在、未来 PART3

~それぞれの道~

過去に目を向けるとそもそも英国映画には、美男俳優の系譜といったものがあるようだ。

1950年代の後半の「フリー・シネマ」の運動を経て、1960年代の英国映画界は世界の注目を集めていた。この時登場した若手俳優たちは、ピーター・オトゥール、アルバート・フィニー、アラン・ベイツ、トム・コートニー、エドワード・フォックス、ジェイムズ・フォックス、マイケル・ヨーク、異色のテレンス・スタンプなどそうそうたる顔ぶれである。パブリック・スクール出、オックスフォード出あり(テレンス・スタンプだけは、貧民街の出身)、80年代の英国若手俳優たちの出現と重なってくる部分がある。 ちょっと無理やり感はあるが、繋げてみると…

アイリッシュの血を持ち、オールド・ヴィック座からロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの公演に参加後映画界に入り、国際的な俳優になっていった…ピーター・オトゥール→ダニエル・デイ・ルイス。
人のいい貴族のお坊ちゃんが十八番…ジェイムズ・フォックス→ジェイムズ・ウィルビー。
甘いマスクでハリウッドでも引っ張りだこになる…マイケル・ヨーク→ヒュー・グラント。
演技派だけれど、早くからおじさんっぽくなっていった…アルバート・フィニー→コリン・ファースという風に。60年代の英国映画の隆盛は、やがてハリウッドに吸収されて衰退していくのだけれど、俳優たちだけはその確固たる実力を持って、こんにちまで活躍が続いている。それと同様、21世紀に入り、かつての英国貴公子たちが、活動をハリウッドに広げキャリアを築いているのは嬉しい限りである。

最後に、彼ら貴公子たちの過去、現在、未来までを、独断と偏見でひとりひとり概観してみよう。

コリン・ファース…実力がありながら貴公子たちの中で一番目立たない存在であった。ケネス・ブラナーと共演した『ひと月の夏』(87年)、ヴァルモン子爵を演じた『恋の掟』(89年)以降は、目立った活躍がなかった。久しぶりに大きな舞台に出た『イングリッシュ・ペイシェント』(96年)『恋に落ちたシェイクスピア』(98年)も損な役である。転機が訪れたのは、『ブリジット・ジョーンズの日記』(2001年)。1995年に英国で放映されたドラマ『高慢と偏見』が映画の中でも出てくるのだが、作者がこのドラマのコリン・ファースをいたく気に入っていたことが幸いとなり、本作に出演。以降はハリウッドで引っ張りだこになる。そして『シングルマン』ではその演技が絶賛され、ヴェネチア国際映画祭をはじめ各国で賞を受賞する。最新作は国王ジョージⅥ世を演じた『ザ・キングス・スピーチ』が控えており、今後も目が離せない。

ヒュー・グラント…貴公子たちの中で一番稼いだ俳優は、おそらくこの人だろう。『モーリス』で絶大な人気を獲得後、『フォー・ウェディング』(94年)『いつか晴れた日に』(95年)『ノッティング・ヒルの恋人』(99年)などなど、ちょっとばかりドジ、でも人のいいキャラクターぶりで、ロマコメのキングとも言える存在となっていった。しかし、役柄が限られているのがこの人の欠点。何をやってもオックスフォードの匂いが漂い、いつものヒュー・グラントになってしまう。それゆえ最近では年齢と共に苦しくなってきた感がある。そもそも最初にそれを感じ始めたのは、『ブリジット・ジョーンズの日記』(2001年)の時。それが明確になってきたのが『ブリジット・ジョーンズの日記きれそうなわたしの12カ月』(2004年)の時。この時を境に共演したコリン・ファースと立場が逆転していったのが、象徴的である。「美貌」のヒュー・グラント「実力」のコリン・ファース、年齢に強いのはどちらか、言うまでもないだろう。そうは言っても『噂のモーガン夫妻』(2009年)以降まだ出演作がないのが心配なところである。

ダニエル・デイ・ルイス…何といっても実力、気品共にナンバー・ワン。自分の出たい作品にだけ出演を続け、どれもが話題の作品になってしまう。一時は俳優をやめて家具職人になるといった時期もあったが、桂冠詩人の父の影響からか気まぐれな芸術家肌で、ここぞというときには、必ず映画界に戻ってきてくれる。『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2001年)の後、久しぶりに出演した『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(2007年)でいきなり二度目のオスカーを手にしてしまったのはまだ記憶に新しいところで、例え出演作の数が少なかろうとも、今後も英国映画界最高の俳優として君臨し続けることは間違いない。

ルパート・エヴェレット…その容姿はファッション・モデル、英国貴公子の中でもとりわけ美しいと言われていた彼は、『予告された殺人の記憶』(88年)『英国万歳!』『プレタポルテ』(94年)、『ベストフレンズ・ウェディング』(97年)とそれなりに活躍をしつづけていたのだが、作品をよく選ばず何にでも出演してしまうという欠点があった。イタリアのB級ゾンビ映画に出たり、『GO!GO!ガシェット』(99年)で珍妙な悪役をえんじてみたり。そして、もうかつての輝きは失われてきたかと思われてきた丁度その頃に、カミング・アウトするのである。その直後のオスカー・ワイルド『理想の結婚』(99年)は素晴らしいものがあったし、『2番目に幸せなこと』(2000年)では新境地を開いたかのように見えたのだが、その後は逆に仕事が減ってしまった。ゲイであるということで、仕事が限られてしまうといった現象は、まだまだアメリカの芸能界ではあるようだし、心配なところである。

ルパート・グレイヴス…もうひとりのルパート、『モーリス』の役柄もそうであったが、いつも日陰にいたような。とはいえ、『眺めのいい部屋』のヘレナ・ボナム・カーターの弟役、『ダメージ』(92年)『英国万歳!』とそれなりの存在感は残している。というのも彼の活躍の場は、映画だけではなく、舞台、テレビと幅が広く、その中で実力が積み上げられてきているからだ。舞台ではピーター・ブルックの『夏の夜の夢』で主役を演じていたし、『フォーサイト家~愛とプライド』(2002年TV)では、コリン・レッドグレイブの息子役で、ジーナ・マッキーとの実ることのない恋の苦しみを繊細に演じていて、印象に残っている。最近では見逃してしまったのだが、『ハウエルズ家のおかしなお葬式』(2007年)に、次世代の英国俳優マシュー・マクファディン(2005年『プライドと偏見』)と共演もしていた。実は1964年生まれで他の人たちより年齢も若く、これからも地道に活動していくような気がしている。

ジェームズ・ウィルビー…あのブームの時代が彼のすべてである。『サマー・ストーリー』(88年)『ハンドフル・オブ・ダスト』(88年)『ハワーズ・エンド』(92年)『チャタレイ夫人の恋人』(93年) なんとも情けない世間知らずのお坊ちゃん役が彼の十八番。その後『ゴスフォード・パーク』(2001年)で久しぶりに彼の姿を見かけてはいるが、やはり同じような役どころであり、これではスクリーンでの活躍は望めそうにないとも思った。ただしテレビ、特に時代設定の古いモノに相変わらず活躍の場があるようだ。あの古風な顔立ちがピッタリくるからだろうか、『ポワロ』シリーズ、『ミス・マープル』シリーズ、『ザ・ローマ 帝国の興亡』と、人気作品への出演が続いている。英国文芸作品が作られれば、まだまだ映画への出演チャンスはあるだろう。

Text by 藤澤 貞彦

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