リアリティの追求にこだわった『ソハの地下水道』アグニェシュカ・ホランド監督インタビュー

アグニェシュカ・ホランド監督

1943年、ナチス侵攻下のポーランド。下水処理と空き巣稼業で妻子を養っているソハは、収容所行きを逃れたユダヤ人たちを地下水道に匿う。それは当初、善意からではなく、裕福な彼らから見返りの金品を得るためという、軽蔑されてもおかしくない行為だった。そんななか、ナチスのユダヤ人狩りが容赦なく実行され、匿う者も厳罰に処されるようになり、ソハは次第に精神的に追い詰められる。しかし、彼らの窮状を放っておくことができず、守るという選択をする・・・。
そんな実話を元とした『ソハの地下水道』は今年のアカデミー賞外国語映画賞にノミネート。監督は『僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ』『太陽と月に背いて』でも名高いアグニェシュカ・ホランドだ。このたび、来日したホランド監督にお話を伺った。

●人間臭いユダヤ人のキャラクター造形
本作で特徴的なのは、迫害されるユダヤ人が人間臭く描かれている点だ。ホランド監督も「これまでユダヤ人は無垢な被害者という一面的な描かれ方が多かったのでは?」と指摘するとおり、ホロコーストを題材にした作品では、抑圧されるユダヤ人は概ね善人で、それにより悲劇性が高まるというような描写が多かったように思う。だが、本作のユダヤ人は、ソハが食料を届けても最初はお礼も言わず、「金払ってやってるんだから当然」的な横柄な態度。地下に隠れるユダヤ人の過酷な現状に同情しつつも、「そりゃないだろ!」と怒りたくなったくらいだ。ホランド監督はそんな脚本を読み、
「ユダヤ人のキャラクター造形が非常に複雑で、ある意味ユニークで、リアルで、感情移入ができ、描いてみたくなった」と興味をそそられたという。

そんな多面的なキャラクターを演じてくれた俳優陣に、ホランド監督は、
「自分をよく分かっている俳優ばかりが集まってくれました。映画はキャスティングがとても大切。必要な俳優を起用できれば、後は監督として特にやることはないくらい(笑)」と全幅の信頼を置いていたようだ。
ただ、監督は言語に対して強いこだわりがあった。当初の脚本は英語で書かれていたのだが、リアリティを追求するため、当時実際に使われていた言語に変更。それらはポーランド語、ドイツ語、イディシュ語、ウクライナ語など、さらにそれらの訛り、というように多岐に亘る。
「俳優たちは2ヶ月ほど言語レッスンをしました。それは役作りに役立ち、より深く役に入り込めたようです」。
その効果か、主人公ソハ役のロベルト・ヴィェンツキェヴィチも精神的にいろいろこみ上げるものがあり、2~3回は現場で涙を流していたそう。
「それぞれの俳優にとっても忘れがたい作品になったのではないかと思います」。

●上映時間145分の理由
これまでのホランド監督の作品は、120分以内の上映時間に収まるものが多かった。だが、本作は145分。過去作品と比べると、長い。これは監督が意図して長くした結果なのかと訊ねると、当初はこれまで同様、2時間以内に収める予定だったという答えだった。
「ユダヤ人の潜伏生活を大切に描きたかった。彼らが長い時間を地下で過ごしていたという点を、簡単に流したくない気持ちがあって、最初は4時間の超大作になってしまったんです」と監督は笑う。
ただ、それをそのまま公開するのは現実には不可能。いかに短くするかという点に苦慮したが、「何か(事件的なこと)が起きているアクションの時間と、何も起こらない時間のバランス」を重視して、編集作業を繰り返した。

そういえば映画を観ている間、私はずっと息苦しくてたまらなかった。ユダヤ人たちは果たして地下から無事に出られるのかと、結末を早く知りたくて焦燥感を覚えながら観ていた。そして、後からこれは劇中のユダヤ人と同じ、もしくは似たような感覚だったのではないだろうかという思いに行き着いた。もしや監督には、そのフラストレーションを観客に体感してもらう意図があったのだろうか?
「やはりユダヤ人のフラストレーションを観客にも感じてもらいたかったし、そのためにはある程度の時間や空間(映像)も必要でした。結果的にこの物語に見合う理想的な長さが、145分だったということです」。

●地下の撮影について
本作の舞台の大半が迷路のように複雑に入り組んだ地下水道だが、ホランド監督にとって地下を描く魅力とは何だろうか?
「映画作家として地下を描くことは1つの挑戦」と監督は言い切る。「地上と地下、光と闇の世界を映画的に掘り下げることは魅力的ですもの」。
ただ監督は、視覚的に美しいと感じさせる撮り方ではなく、きちんと現実に根ざした地下の様子を描くことを目指した。
「実際に彼らが生活していたのは、ジメジメして不潔なところでした。お世辞にもきれいと感じるようには撮っていません」。
確かにドブネズミが頻繁に登場したり、スクリーンから悪臭が本当に漂ってくるんじゃないかと思うような、リアルな描写の連続だ。
「その汚い場所をいかに撮るのかが挑戦でした。闇のなかでも人の表情を観客に分からせる必要はあったし、光源をどうしたらいいのか等も苦労しました」。
また、地上の空気の透明感と地下の閉塞感のコントラストや、地上ではキリスト教の儀式が行われ、地下ではユダヤ教の祈りを捧げるというような宗教的な対比なども、はっとさせられた。
「地下と地上では地面を挟んでわずか数メートルしか隔たりがないのに、まったく違う世界が構築されていることも考慮しています」。

●意識して“色”を取り入れて
そんな汚い、色で言い表すと、ダークブラウンとか黄土色というような色ばかりの場所で、ユダヤ人少女の赤いリボンや女性の青いキャミソールなどは、色彩を放ち、目を引く。ホロコーストものだと、ユダヤ人の衣装は収容所での囚人服のイメージが強いのだが・・・。
ホランド監督は、リサーチのために記録映像をたくさん観て、ユダヤ人が意外にカラフルな服を着ていたことに気付いたという。「彼らは(ナチスから逃げる直前まで)普通の生活を送っていたわけですから、おしゃれな装いをしていて当然です。そのことが、私にはより悲劇的に感じました。そういう意味も込めて、意識的に色を取り入れました」。

色についてもう1点、鮮烈な印象を与えるのが、1944年7月にソ連軍がポーランドに到着し、終戦を実感するシーンだ。地上では、新緑がまぶしいくらいに輝いている。この撮影についてホランド監督は、妥協しなかった。
「撮影は(2010年)5月に終わったのですが、まだ木々が芽吹いていなかったんです。実際のソ連軍の到着は7月なのだから、それはあまりにも不自然。その状態で撮影はしたくなかったのです」。
新緑は、命のきらめきや希望のメタファーでもある。それだからこそ、監督はこだわった。
「撮影を延長させて下さい、とプロデューサーにかけ合い、夏の時期にまた撮影することができました。私にとってこのシーンは絶対に譲れない、描かなくてはいけないポイントでしたから」。

(後記)
ホランド監督の話からは、自分がつくりたいものに対して妥協がないことを痛感する。脚本の言語の問題しかり、ソ連軍の到着シーンしかり。そしてそれは、リアリティを追求するゆえのことなのだろう。監督は、『太陽と月に背いて』や『敬愛なるベートーヴェン』などのように実在の人物や歴史上の出来事を描いた作品も目立つ。今後も歴史を描くつもりか?との問いには、「作家として多様な作品を撮りたいので、歴史物にこだわりません。ただ、時代が違っても現代に通じるリアリティがあるからこそ、つくっています」と、リアリティへのこだわりを強調。インタビュー中は柔和な笑みを浮かべて対応しつつも、言葉のひとつひとつに力があり、いい意味での威圧感もあった。妥協がないからこそ、世界的に高い評価を受ける作品を送り続けることができるのだろう。そんなホランド監督の高い意識を垣間見ることができたインタビューだった。

▼プロフィール▼
アグニェシュカ・ホランド
(Agnieszka Holland)
1948年ワルシャワ生まれ。1971年にプラハ芸術アカデミーを卒業後、ポーランドに戻り映画業界に入る。クシシュトフ・ザヌーシの助監督になり、アンジェイ・ワイダから指導を受けた。初監督作品”Provincial Actors”(78)は”道徳的不安の映画”運動を代表する作品のひとつで1980年のカンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞。1981年にフランスへと移住。ポーランドを去ってから、”Washington Square”(97)やアカデミー脚本賞にノミネートされた(ゴールデン・グローブ外国映画賞受賞、NY批評家協会賞受賞)『僕を愛したふたつの国/ヨーロッパ ヨーロッパ』(90)など、自己実現を求めて困難な状況から逃れようとする人々の物語を作品にしてきた。また、友人クシシュトフ・キェシロフスキの”トリコロール”三部作の一作目『トリコロール/青の愛』(93)の共同脚本も担当。その他の主な作品は『オリヴィエオリヴィエ』(92)、『秘密の花園』(93)、『太陽と月に背いて』(95)、『敬愛なるベートーヴェン』(06)など。他にも数々の映画監督に脚本を提供しており、またテレビ作品の監督としてもエミー賞最優秀ドラマシリーズ部門にノミネートされるなど活躍中。

▼作品情報▼
監督:アグニェシュカ・ホランド
出演:ロベルト・ヴィェンツキェヴィチ、ベンノ・フユルマン、アグニェシュカ・グロホフスカ、マリア・シュラーダ、ヘルバート・クナウプ
英題:In Darkness、製作年:2011年、製作国:ドイツ・ポーランド
配給:アルバトロス・フィルム、クロックワークス
公式サイト:http://www.sohachika.com/pc/
Ⓒ 2011 Schmidtz Katze Filmkollektiv GmbH, Studio Filmowe Zebra, Hidden Films Inc.
2012年9月22日(土)TOHOシネマズ シャンテ ほかにて公開

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