わたしたちの宣戦布告
ロメオとジュリエット、お互いのその名前に運命を感じた二人は、瞬く間に恋に落ち結婚、そして男の子アダムを授かる。順風満帆、そんな幸せいっぱいの家庭生活に不幸が襲う。生まれた子供が、ラブドイド腫瘍(脳腫瘍)という病に侵されていたのだった。回復する可能性は10%しかないという難病に、彼らは励ましあいながら立ち向かっていく。「なぜアダムがこんな目に合うのだろう」「私たちなら乗り越えられるはずだからよ」と。
家族の闘病物語、しかも監督主演脚本のヴァレリー・ドンゼッリ(ジュリエット)と、主演共同脚本のジェレミー・エルカイム(ロメオ)の実話と聞けば、重苦しい内容を想像しがちだが、予想を裏切り、本作は驚くほど軽やかなタッチの作品に仕上がっている。普通、思いが強ければ強いほど、力が入りすぎ、内容も重く混沌としがちになるものである。そのジレンマを克服するために監督が思いついたのは、主人公の名前をロメオとジュリエットにすることだった。こうすることによって、第三者的な視点を確保することに成功したというのだ。実際、この作品の成功の要因のすべてがそこにあると言っても過言ではないだろう。
ジレンマから開放されたふたりは、作品に自分たちの好きなもの、映画の記憶、音楽の記憶を、思いっきり詰め込むことにしたようだ。場面転換の時入るナレーションに、ジョルジュ・ドルリュー、ヴィバルディの音楽が加われば、フランソワ・トリュフォー監督の作品を想起させられる。また、子供の病名を告げられ、ひとりタクシーで家に向かうジュリエットの、ロメオに会いたい思いが、突然ふたりの掛け合いの歌となって溢れ出すシーンには、ジャック・ドゥミ監督(『シェルブールの雨傘』)の心さえ感じさせられる。他にも『黒いオルフェ』や『家庭教師』のテーマが使われるなど、挙げていればキリがないのだが、それら異質なものたちが編集によって共鳴しあい、違和感なくちゃんとそこに存在している。しかも、その時の自分たちの気持ちを映像や音楽に託すことは、体験を冷静に再構築していくための作業に他ならなかったことが、観ていてよくわかるのだ。
この作品の中で、特に印象に残るのは、闘病生活の途中で、ふたりが遊園地に行くシーンである。“不謹慎”と言ってしまえば、それまでだが、実はこの固定観念が、よりいっそう人を追い詰めるものなのである。過酷な現実に立ち向かうためには、それが長期戦になればなるほど、どこかで息を抜かなくては、人はそれに耐えられるものではない。なぜ自分たちがこの闘いを乗り切れたのか。彼らが自らの体験を再構築する中で見出した結論は、困難に対して、世間体に囚われず自分たちのやり方で、「宣戦布告ができたこと」だ。既存のイメージに囚われないこの映画の軽やかなタッチもまた、そんな彼らの気持ちをよく物語っている。こうした姿勢が、観客をポジディブな気持ちにさせてくれるのだ。
▼作品情報▼
監督・脚本:ヴァレリー・ドンゼッリ
共同脚本:ジェレミー・エルカイム
出演:ヴァレリー・ドンゼッリ、ジェレミー・エルカイム、セザール・デセック(アダム18ヶ月)、ガブリエル・エルカイム(アダム8歳)
原題:LA GUERRE EST DECLAREE
2011年/フランス/100分
配給:アップリンク
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/sensenfukoku/
2011年カンヌ国際映画祭批評家週間オープニング作品
セザール賞作品賞他6部門ノミネート
2012年9月15日(土)より渋谷Bunkamuraル・シネマ、シネ・リーヴル梅田ほか全国順次ロードショー