フェイシング・アリ

ライバルだからこそ伝えられるアリへの愛

先日のロンドンオリンピック閉会式で久しぶりに見たモハメド・アリ。ボクシングの金メダリストではあるが、もちろんそんな理由だけで彼がそこに呼ばれた訳ではない事を多くの人が知っている。数多くいるスポーツ選手の中でなぜ彼が今でも折に触れ思い出され尊敬される20世紀最大のカリスマヒーローであるのか。過去にもアリのドキュメント映画はあったが、今回の映画は過去にアリと対戦をした10人のライバルへのインタビューでアリの強さや当時の時代背景を窺い知る事の出来る、歴史的価値もあるドキュメント映画である。

インタビューを受けた元ボクサー達は、アリが最初にヘビー級チャンピオンになる前の若い頃に対戦したヘンリー・クーパー、ベトナム戦争の徴兵拒否で3年7か月の引退に追い込まれた後に戦うキンシャサの奇跡のジョージ・フォアマンや数々の死闘を繰り広げた一番のライバルのジョー・フレージャー、アリが選手として衰えが現れてきた頃に対戦したレオン・スピンクスやラリー・ホームズなど、アリの全キャリアにわたり幅広い。当時のボクシングの状況とアリのキャリアの全貌を知るのにこれほどふさわしい人達は他にいない。そんな10人の思い出話しを聞き、アリとの闘いの映像を見ると、当時の興奮が伝わってくるようで胸が熱くなる。

インタビューされた彼らの中にはアリを称賛する人ばかりではなく、複雑な思いを語る人もいる。ライバルとしてしのぎを削ってきたのだからそれは当然だ。しかし、彼ら全員が今ではアリの存在を認め愛している。それがなぜなのかは、10人がアリの事ではなく自分自身の事を語る事によって理解出来る。

当時プロボクサーになる人は、人種差別や貧困に苦しんだ黒人、白人でも労働者階級の貧しい人しかいなかった時代。インタビューを受けた10人は皆、人生の苦さを味わった人達ばかりだ。その彼らにとってアリは長身でハンサム、早くて強く、ユーモアに溢れた破天荒な言動で常に民衆を味方につける人気者で、嫉妬すら覚える存在だったろう。しかし、そのアリは今では重いパーキンソン症候群を患い、ほとんどしゃべる事も出来ない状態だ。大スターだったアリでさえ、今はこんな状態。人生とはなんて厳しいものなのだと改めて10人皆が骨身に沁みている事は想像に難くない。

今では、同じ時代にアリと対戦出来たからこそ自分の人生が豊かになり輝いたという事をライバルたち皆が分かっている。あの強かったアリが重いパーキンソン症候群に苦しんでいる事を、彼らは心から悲しく思っている事が伝わるのだ。同じ時代を生きた戦友アリに、今の自分と同じ様に幸せになって欲しいんだと語るライバル達の言葉には嘘偽りなど微塵も感じられない。やはり、アリは誰からも愛される稀有な人なのだ。

アリには公民権運動への貢献や反ベトナム戦争といった政治への影響力もあり、ボクシングのみにとどまらない多面的な魅力を発する人物である。今までもそうだし、これからもモハメド・アリについてのドキュメント制作や考察は続けられるだろう。その中でも、ライバルたちが生きている間に得られた貴重な証言を記録したこの映画はアリの魅力を再発見するための一助になる事だろう。

渋谷アップリンク、銀座テアトルシネマほか、全国順次公開中

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