柳下美恵のピアノdeフィルムvol.16『嵐の孤児』
4 『嵐の孤児』はいかにして作られたか
ではここからは、『嵐の孤児』について具体的な話をしていきたいと思います。最初のクレジットにも出ていましたが、この映画には、フランス人のアドルフ・デネリーが書いた『二人の孤児』という原作があります。1874年に出版されているので、この映画の50年ぐらい前に出た戯曲なのですが、ロングヒットしていて、色々な国で翻訳され何度も何度も再演されてきており、グリフィスがこの映画を撮った時にもアメリカで上演されていました。グリフィスは元々この戯曲を映画化することを考えていませんでした。最初はゲーテの『ファウスト』を映画化しようとしていたのです。ただこの作品は、映画化されてヒットした試しがないのですね。そのことを知っていたリリアン・ギッシュは、なんとかグリフィスを『ファウスト』から遠ざけようとしたのですね。それでその時たまたまやっていた『二人の孤児』の舞台にグリフィスを連れて行って見せます。そうしたらとても気に入りすぐに映画化しようという話になっていきました。ただ、これはリリアン・ギッシュの自伝に書いてある、言ってみれば彼女のバージョンの話なので、グリフィスの証言だとまた話が違ってくるのですが、まあ、いずれにしてもその戯曲が原作になっているということですね。
ただ、『二人の孤児』という戯曲と『嵐の孤児』ではだいぶ内容が違ってはいます。話の骨格、大筋はほとんど一緒です。2人の姉妹のうち1人が盲目になり、治療のためパリに出てきたところ2人が離れ離れになり、それぞれがひどい目に会うも最後は救われるっていうところですね。ただ元の戯曲には、ロベスピエールやダントンは出てきません。そもそもフランス革命が描かれていない。時代設定はフランス革命の5年ぐらい前になっていて、映画とはちょっとだけ時代がずれています。だからフランス革命という要素を持ち込んだのは、グリフィスなのですね。ただそこにも色々元ネタがあることが、研究されてわかっています。1つだけ挙げておくと、よく言われるのはディケンズの『二都物語』ですね。これもやっぱりフランス革命を背景に色々波乱万丈の物語が展開するという小説ですが、グリフィスというのは、自他共に認めるディケンズのファンだったので、この小説の影響が結構強いのではということはよく言われております。
5 『嵐の孤児』制作時の時代背景
先ほど柳下さんもちょっとおっしゃったことなのですが、この映画、最初に字幕が出てきます。その字幕の最後の方に「教訓はこうだ。フランス革命は悪しき政府を正しく打倒した。だが、我々アメリカ人は良き政府を持つものとして警戒すべきだ。狂信者をリーダーと見誤り、まともな法と秩序を無政府主義やボリシェビズムと取り替えてしまってはならない」先ほどの字幕とはちょっと違うかもしれませんが、まあ、大体こんなことが書いてあります。要するに、この映画で描かれているのは、フランス革命という遠い昔の話ではなくて、今のアメリカ、つまりこの映画の撮られた1920年頃のアメリカのことなのだよと。うかうかしていると、無政府主義とか、ボリシェビズムによってアメリカが乗っ取られちゃうぞっていう、まあそういう警告文で始まるわけですね。
無政府主義というのは、まあ、アナキズムのことですね。ボリシェビズムというのは、ロシアの10月革命でレーニンが率いていたボリシェビキですね。そこから出てきた言葉がボリシェビズムです。要するに暴力的な革命によって政府を倒そうとする運動のことで、アメリカでは普通はネガティブな意味で使われることが多いです。なんかフランス革命とは全く関係がない、もっと後の時代の話なのに、この言葉をわざわざ使っているわけです。で、このボリシェビズムという言葉は、確か映画の終わりの方でもう一度使われていると思うのですが、この字幕を信じるとするならば、『嵐の孤児』という映画は、フランス革命にかこつけて無政府主義とかボリシェビズムに対して警告を発している映画とも見ることもできるわけです。実際この映画が撮られた1921年というのは、ロシアに革命が起こってからまだ3、 4年ぐらいしか経っていない頃で、アメリカでは、社会主義とか、コミュニズム、アカとかに対する漠然とした不安がまだまだ残っていた頃なのです。実は社会主義者自体はロシア革命が起こる前からアメリカに沢山いたのですが、ロシア革命以降、アメリカでは弾圧が強くなっていて、この映画の直前の1920年には、社会主義者とみなされた500人ぐらいの人が不当に逮捕されるっていう事件が起きたりしています。赤狩りというと、1950年代、冷戦の時代のことを指すのが普通なのですが、1919年から20年頃も、実は赤狩りというのが起こっていまして、第一次赤狩りという風に言われたりもしています。こうした時代を如実に反映した字幕でこの映画が始まるというわけですね。
※この頃のアメリカの雰囲気は『レッズ』ウォーレン・ベイティ監督が参考になります(筆者注)
6 『嵐の孤児』に政治的な意味はあるのか
ただ、この映画にフランス革命をグリフィスが盛り込んだということを、どういう風に考えるかということなのですが、グリフィスというのは、こういう歴史大作を撮っても、結局はメロドラマになるわけですね。終わりはいつも決まってラスト・ミニッツ・レスキューです。危機に瀕した登場人物を、遠くから誰かが救いに来る。それを、交互に映し出しながら見せていくというお得意のクライマックスですね。代表的なのは『国民の創生』と『イントレランス』の現代編とかですが、それ以前の短篇の時代から、そういう映画の作り方をずっとやってきています。なので『嵐の孤児』でも、最後のクライマックスを盛り上げるための背景としてフランス革命を使っているだけで、あまり真剣に考えることもないのではないかという見方もできるし、それも正しいと思うのです。
一方で、実は思った以上にフランス革命というのを真面目に描いているという見方もできるし、先ほど言ったように無政府主義とかボリシェビズムに対して警告を発した作品なのだという見方もできると思うのですね。字幕にしてもどこまで本気で考えたらいいのかというところではあるのです。
グリフィスというのは、政治的には簡単に言うと保守的な人だったと思うのですけれども、ただ、彼が撮った映画というのは、もうちょっと曖昧で、そこまではっきり言えないところがあります。例えば『イントレランス』の現代編で、ストライキの話が出てくるのですけれど、人によっては、保守的だという人いう人もいれば、逆に社会主義的な映画だという人もいたりします。実際、『イントレランス』はソ連で非常に人気があったわけですね。レーニンがこの映画を非常に気に入って、グリフィスを呼ぼうとしたくらいです。それくらいまったく正反対の受け取り方がされることもあって、『イントレランス』の時には、ちょっと進歩主義的な映画じゃないか、左寄りじゃないか、社会主義寄りじゃないかという批判がされた事もありましたので、『嵐の孤児』では、そういう批判をあらかじめ封じるために、こういう字幕を冒頭に付けた、そういう見方もできるわけです。色々解釈があるので、難しいところなのですが、当時の社会と絡めてそういう見方もできるっていうのは、一つのポイントとして押さえておきたいところです。
井上正昭さんのトークは、まだまだ続きそうだったのだが、残念ながら時間切れとなってしまい、そのあとはロビートークが50分近く続けられた。今回の上映にあたり資料提供された三品ひろゆきさんを始め映画通の方からサイレント映画初心者の方まで、ロビーにいたほぼ全員が次々に質問をし、興味深い話は尽きることがなかった。その一端をご紹介すると、柳下美恵さんがドロシー・ギッシュの写真を見て、リリアンと間違えてしまったエピソードに対して井上さんは、「実は最初グリフィス監督は2人を見分けることができず、青と赤のリボンをつけてブルー、レッドと呼んでいた」という知られざるエピソードを紹介。またお金がないのに、なぜあれだけの美しく豪華なセットを作れたのかという質問には、「グリフィスっていう人はあんまり金銭感覚がなかったのですよね。あのセットを作れたというのは、その直前に、『東への道』がヒットしたから。しかも、『嵐の孤児』の時というのは、グリフィスがニューヨークに巨大な自分のスタジオを作ろうとしていたのです。すごくお金を掛けているからたくさん映画を作るどころじゃなかった。作りたい映画があったら借金して作るみたいなことを繰り返していて、ビジネス感覚のない人でした。」と、グリフィスの負の側面も紹介した。その他にもグリフィス監督の女性の好みから、『イントレランス』の当時の上映形態、グリフィス監督はコメディがうまくないという話しなど大いに盛り上がり、ロビートークが終了したのは19時近くであった。
☆次回のピアノde フィルム『大活劇 爭闘』は2月21(土)22日(日)の予定です。
出演者プロフィール
【井上正昭(いのうえ まさあき)】
(映画研究・翻訳)
Planet Studyo + 1 で映画の自主上映にたずさわる。訳書に『映画監督に著作権はない』(フリッツ・ラング、ピーター・ボグダノヴィッチ/筑摩書房 リュミエール叢書)、『恐怖の詩学 ジョン・カーペンター』(ジル・ブーランジェ/フィルムアート社)、共著に『映画を撮った35の言葉たち』(フィルムアート社)がある。猫たちの王をめざす猫派ブログ「明るい部屋 映画についての覚書」管理人(Xのプロフィールから)。
https://pop1280.hatenablog.com/
【柳下美恵 (やなした みえ)】
(サイレント映画ピアニスト)
武蔵野音楽大学有鍵楽器専修(ピアノ)卒業。
1995年山形国際ドキュメンタリー映画祭で開催された映画生誕百年祭『光の生誕 リュミエール!』でデビュー。以来、国内海外で活躍、全ジャンルの伴奏をこなす。
欧米スタイルの伴奏者は日本初。2006年度日本映画ペンクラブ奨励賞受賞。 ピアノ(オルガン)を常設する映画館を巡る全国ツアー「ピアノ×キネマ」、サイレント映画の35ミリフィルム×ピアノの生伴奏“ピアノdeフィルム”、 サイレント映画週間“ピアノ&シネマ”などを企画。映画館にピアノを常設する“映画館にピアノを!” の呼びかけなどサイレント映画を映画館で上映する環境作りに注力中。2025年デビュー30周年を迎えた。
柳下美恵さん公演予定
11月29日(土)
リリアン・ギッシュ主演『大疑問』
国立映画アーカイブ(東京)
11月30日(日)
究極のメロドラマ『第七天国』
シネ・ヌーヴォ(大阪)
12月7日(日)
『第七天国』『弥次喜多岡崎の猫騒動』
フルート、ヴァイオリン、ピアノのトリオ伴奏
昭和音楽大学(川崎)