【FILMeX】家へ(特別招待作品)
これは写真美術館の写真展のような作品。入場してテーマごとに分類された一枚一枚の写真を眺めていく感覚。帰郷、回転ブランコの真ん中で、外に出られずうろたえる犬、枝葉を集めて燃やされる火、水の中で枯れる蓮、田んぼ、滝、川、廃墟、イメージは一見繋がりがないように見える。しかし、すべてを周り、観終わったときに大きなテーマが見えてくる。そんな感じである。もちろんなこれは写真ではないから、時間が存在し、写真に見えるもの、見えないものの音がたくさん聴こえてくる。のどかな風景の中でうなりをあげて通り過ぎていくもの、一体これは何の音だろう…映像のこちら側を想像させながら、写真のように固定されたカメラで撮られた映像が次々に流れていく。
廃墟となった家、綺麗な空き家。廃墟かと思いきや人の住む家が、次々と映し出されていく。廃屋は、今や自然の力に勢力を奪われ、傾き、死に瀕している。まだ綺麗な状態を保つ高級そうな空き家もまた、等しく自然が主役の地位を奪おうと、狙っている。廃墟と見紛うばかりの人の住む家は、例え屋根が傾いでいたとしても、家自体に生きているかのような活力が感じられる。そこに住む人々の暮らし、動物たちの暮らし。ツァイ・ミンリャン作品の常連であるアノンの姿が時々映し出される。食事を作る風景、仏像の周囲にある落ち葉を掃き続ける風景。彼らの会話はラオスの言葉とは思われるが、翻訳されていないので、何をしゃべっているのかはわからない。アノンですら、まるで住人の一部に過ぎないとでも言うかのようである。市場は、ゴザを敷いて野菜を売る人たち、買い物に来た人たちで賑わっている。野菜を売りながら麺をすする逞しいおばちゃんの姿も見える。アノンはツァイ・ミンリャンの作品を観る人なら、お馴染みの顔であるにも関わらず、この作品ではこのおばちゃんとなんの違いもない。
職人が石を彫り出し仏像を作っている。その作業が見ていて面白い。身体を磨く人、傾きい石にノミを当てる人。仏像は身体がきちんとでき上がりつつあるというのに、顔の部分が尖った山のような形をしたままである。職人たちの手つきがあまりに手慣れているので、彼らが形を作っているのではなくて、石の中に仏が埋まっていて、彼らはそれを単に発掘しているだけのようにも見える。最後は金が塗られて、神々しい姿になる。荒れた野の中に、光り輝く仏像が無造作に置かれていることの不思議。
集会所のような大きな東家のような建物では、多くの人たちがおしゃべりを楽しみ、ごちそうを食べている。しかし、人々の声は単なるざわめきであり、会話が聴こえてくることはない。むしろ風の音や鳥の声がその場を支配している。人は自然の一部にしか過ぎないのである。
ここまで観てきて、ひとつだけ気が付くことがある。この映画に出てきたものを追っていくと、そこにあるのは、火、水、木、金、土であったことを。いわゆる五行説である。5種類の元素は「互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する」という考えである。人々の暮らし、動物たち、すべては万物の根源たる五行の強弱によって支配されている。仏像が、人が彫るのではなく、彫り出されるのを待っているような感覚に見えたのは、自然の中に仏が宿ることの象徴ではなかったのか。家とは、仏の宿るこの大地のこと、私たちの暮らすこの地球のこと。「家へ」とは人間もこうした自然の一部に過ぎないというという原点に立ち返ること、そんなことを意味しているような気がしている。
第26回 東京フィルメックス 開催概要
会期:2025年11月21日(金)〜 11月30日(日) (全10日間)
会場:有楽町朝日ホール ヒューマントラストシネマ有楽町
プレイベント:第26回東京フィルメックス 「香港ニューウェーブの先駆者たち:M+ Restored セレクション」
会期:2025年11月14日(金)- 11月18日(火)
会場:ヒューマントラストシネマ有楽町
主催:特定非営利活動法人東京フィルメックス
共催:朝日新聞社
