柳下美恵のピアノdeフィルムvol.16『嵐の孤児』
10月25日(土)横浜シネマリンにて、柳下美恵のピアノdeフィルムvol.16が開催された。
今回は、デヴィッド・ウォーク・グリフィス監督の後期代表作『嵐の孤児』が、生誕150年に相応しい、国立映画アーカイブの提供の美しい35ミリフィルムで上映され、小雨模様の中にも関わらず、たくさんの観客が劇場を訪れた。2日間続けての公演で、1日目のトーク・ゲストは井上正昭さん(映画研究・翻訳)。柳下さんが神戸映画資料館での講演を聴き感銘を受けたことから、今回のオンラインでのアフタートークが実現した。
『嵐の孤児』(21年)は、『見えざる敵』(12年)から始まったグリフィスとリリアン・ギッシュのコンビネーションの最後の作品で、奇しくも『見えざる敵』同様、リリアンとドロシー姉妹の共演作となった映画である。時はフランス革命前のパリ郊外、貧しさから赤ん坊を教会の前に捨てに来た男が、そこに先に捨てられ寒さに震える赤ん坊を発見する。自分の行いを後悔した男は、捨てるのを思いとどまり、逆にその赤ん坊を拾って家に帰る。2人は本当の姉妹のように育ち、やがて美しい女性へと成長していく。しかし、妹のルーシー(ドロシー・ギッシュ)が病により盲目になってしまったことから、姉アンリエット(リリアン・ギッシュ)は、妹の病気を治すため2人でパリに行く決心をする。パリはまさにフランス革命が起きる寸前。その混乱の中で2人は離ればなれになり、歴史の渦が2人の運命を呑み込んでいく。
パレ・ロワイヤル、バスチーユ監獄など建物に留まらず、馬車や衣装を当時のまま復元するなど、その凝り方、贅沢さに目を見張る。またロベスピエール、ダントンら歴史上の人物が姉妹の物語に絡んでいくのだが、特にダントンの活躍ぶりには、驚かされるばかりである。最後はいわゆるラスト・ミニッツ・レスキュー。絞首台に向かうリリアン・ギッシュと、成すすべもなく、ただ姉に触れたい一心で後を追っていく妹ドロシー、そして彼女を救おうとするダントンの姿が交互に映され、緊張感を高めていく。長い長いこれらのシーンは、リリアンのアップの演技、その儚げな表情も相まって、スリルだけでなく、まるで死地に赴く文楽の道行のような哀れさをも感じさせるものになっている。
柳下美恵さんのピアノ伴奏は、フランス風でエレガントな旋律で始まる。情景がピアノで語られる。リリアン・ギッシュが妹ドロシーを案じている時、窓の下から歌声が聴こえてくる場面、オーケストラボックスから歌声が響き、かの故淀川長治氏も涙したという「ルイズの独唱」がピアノで演奏される。それに続いて、やっと出会えた2人、窓の上と下、しかし無残にも引き裂かれるその場面の哀感溢れるメロディに心打たれた。フランス革命が起き、ラ・マルセイエーズからつづく勢いのある曲。パリの街の混乱は不穏な通奏低音を伴ってメロディが綴られていく。ラスト・ミニッツ・レスキューの緊迫感、ラストの静かな安らぎまで、映像が音楽を作り、音楽が映像を解き明かす。両者一体となり観客席に降り注ぐ、あっという間の2時間半だった。
【アフタートーク】
「私が最初に井上さんの講座を聞いたのは、奇しくも同じグリフィス監督の『国民の創生』だったのですが、白人至上主義の映画をどうやって解説するかっていうことで90分たっぷりお話していただきました。今回も政治的な部分はあるのですけど、他国の話なので、アメリカの立ち位置というのがちゃんと入っていて、グリフィス監督の政治的な心情みたいなのをちゃんと入れているのかなぁと思います。史実もすごく詳しく調べて描いているのがわかります。今回は、ズームによるオンライントークということで、あまり慣れていないことをお願いしてしまったのですが、そろそろ準備ができましたので、井上さんよろしくお願いします。」(柳下さん)
神戸映画資料館でもう何年も講演をされている井上さんだが、ズームを使うのも、オンライントークも初めてのこと。「すごい、自分の顔がこういう大きなクローズアップで。こんな日が来るとは思わなかった」というところから始まり、観客の心を和ませ、話はそのままグリフィス監督の特徴的な演出クローズアップへと入っていった。
1 グリフィス監督の映画技法・クローズアップ
長い間、グリフィスがクローズアップを発明したというように言われてきました。リリアン・ギッシュが、あまりにも美しかったので、カメラマンがカメラを近づけてしまった、それがクローズアップの誕生したきっかけだという話が語られてきました。実はこれは一種の神話で、まあ、美しい伝説としてこれが正解でいいじゃないかっていうようなところも、これまでありました。しかし今は、色々な研究が進んでいて、それ以前からクローズアップが存在したことがわかっておりますが、確かに、グリフィスがバイオグラフ社に入った1908年の時点では、クローズアップを使って映画を撮る監督が少なかったことも事実です。グリフィスが、最初に顔のアップを撮ろうとした時に、いやいや、そんなことをやったら、頭がおかしくなったと思われますよと言われたという、そういう時代だったのですね。グリフィスのいたバイオグラフ社の重役達は、彼がクローズアップを使って撮ろうとしていると聞いたときに、いやいや、俺たちは役者の全身、頭のてっぺんからつま先までを映すことで、彼らにお金払っているのに、顔だけ映してどうするのだって言われた、という話も残っています。今では普通に使われ、誰も驚かないクローズアップという技法も、考えてみると、物語の流れを中断させるという意味で、その当時は異様なものだったと思うのですね。そういう時代があったということを、ちょっと念頭に置きながらグリフィスのような監督の映画を観ていかなければいけないという気がしています。
2 グリフィス監督の映画への功績
クローズアップもそうなのですが、追っている者と追いかけられている者を交互に映すいわゆるクロスカッティング、並行モンタージュ、あるいはアイリスイン・アウトなど色々な技法をグリフィスが発見したと言われていた時代があったのですけれども、今では初期の映画の研究が進んでいて、それは既にグリフィス以前にあったっていうことがわかっています。ただ、グリフィスがそうした手法の、ポテンシャルを100%、200%、引き出していって、物語映画の型式、スタイルを作り上げていった。まだ映画が、今のような映画でなかった時代に、その形を作り上げていった。それは間違いないと思います。だからそういう意味でグリフィスが、映画の父と呼ばれるのは、本当だと思うわけですね。
グリフィスの功績は、色々あると思うのですが、時間がないので一つだけ言っておくと、彼は色々なスターを育て上げた人でもあるわけです。男優で言ったら、ライオネル・バリモアとか、後にいわゆるキーストンコップシリーズを始めとするスラップスティック映画の監督になっていくマック・セネットも、最初はグリフィスの映画で、コミカルな俳優として出演しております。ただやっぱり何と言っても、グリフィスの場合は、男優よりも女優を育てた功績のほうが大きかったと思います。フローレンス・ロレンスから始まって、メアリー・ピックフォード、ブランチ・スイートとか、色々な女優達を育てあげました。その中でもやっぱりリリアン・ギッシュ、それと妹のドロシー・ギッシュ、この2人は、グリフィスとは切っても切れない関係にあったと思います。なぜリリアン・ギッシュがグリフィスにとって特権的な女優になっていったか、もちろん彼女の場合、演技力、存在感が素晴らしかったということもあります。他にも色々理由はあると思うのですけれども、とにかく、リリアンとグリフィスの関係は、映画が長編化していく、1910年代半ばごろから切っても切れなくなっていきます。ですから、グリフィスのフィルモグラフィの中で、1914年から『嵐の孤児』が撮られる1921年までは、グリフィスにおけるリリアン・ギッシュ時代という風に呼ばれたりしています。
3 リリアン・ギッシュとドロシー・ギッシュ
グリフィスの映画では、リリアン・ギッシュと妹のドロシー・ギッシュがいつもセットになっているというイメージなのですが、実は2人揃って主演している映画ってそんなにはないのです。1912年に撮られた『見えざる敵』という短編映画がこの2人の映画デビュー作であると同時に、グリフィス監督と最初に組んだ作品になります。これは20分程の短編で、劇中でも2人は姉妹を演じています。家に泥棒が侵入して、2人がそれにおびえるという、短編映画なのですが、この作品の印象が非常に強くて、グリフィス映画で2人が一緒に主演した映画がたくさんあるという印象を受けてしまうのですが、実際には3~ 4本ぐらいしかありません。ただフィルモグラフィ上は、2人が一緒に出ている映画っていうのはたくさんあります。なにしろグリフィス監督は、全部で500本近く映画を撮ったと言われております。そのほとんどが、10分から20分の短編で、その中に2人が一緒に出てくる映画って確かにいっぱいあるのですが、そのほとんどが両方とも端役だったり、あるいはリリアンの方が主演で、ドロシーの方はチョイ役でちょっとだけ出てくるだけだったりとかなのです。2人揃って主演している数少ない映画の中で、『嵐の孤児』は最もスケールの大きい作品で、しかも2人がグリフィスの映画に出演した最後の作品にもなるわけです。
これは別に2人と監督が仲たがいしたとかいうことではなくて、そういう時期が来たといったほうが良いかもしれません。グリフィス監督というのは、若い女優の卵みたいなのを見つけてきて、ある程度育ったところで、他の会社に引き抜かれていくということが度々あるのですが、無理に引き留めようとはしなかったのですね。他所に行ったほうが、ギャラが良くなるよね、みたいな感じで割とあっさり手放します。それで代わりにまた新しい女優の卵を見つけてきて、育てていくみたいなことを繰り返してきたのです。リリアン・ギッシュの場合も、色々理由があるとは思うのですが、そういう時期が来たっていうことなのかと思います。まあ、とにかく『嵐の孤児』を最後に、リリアン・ギッシュはグリフィスの映画に出なくなるという意味も含めて、リリアンとドロシーにとって、この作品は、特別な代表作になったと思います。



