【TIFF】春の木(コンペティション)
【作品紹介】
『キムチを売る女』(05)、『柳川』(21)などで知られ、中国と韓国で活躍するチャン・リュル(中国語読みではチャン・リュー)が中国で撮影した最新作。成功することができなかった女優が四川省の故郷に戻り、その挫折から立ち直ろうとする姿が描かれる。主人公が故郷を離れているうちに地元の方言を話せなくなってしまっていることが、ドラマ上の重要な要素となっている。かつて多くの映画を製作してきた四川峨眉撮影所の古いスタジオが取り壊される前の、最後の姿がカメラに収められている。主演は『モンスター・ハント(原題:捉妖記)』シリーズで知られるバイ・バイホー。中国第5世代を代表する監督で、現在はプロデューサーとして活躍しているホアン・ジェンシンも出演している。
【クロスレビュー】
藤澤貞彦/中国の多言語度:★★★★
北京で俳優をしていた女性が、自分の故郷である四川語を話せないばかりに、新作映画に出られなくなり、挫折してしまう。なぜそうなったのかを、故郷に帰り小学校時代の演劇の先生を尋ねることで、過去を振り返りつつ、模索していく。自分を見つめ、その周囲にある家族や友人、故郷の街を見つめ直すことで、次のステップに進んでいく女性のドラマなのだが、この作品には裏の意味があるように思えてならない。この作品では上海語、四川語、重慶語、北京語が出現し、そのどれもが互いに通じない様子も描かれていて、中国の多様性を感じさせられる。しかし、現実の中国ではそれを否定する政策が取られている。チベット、新彊などでは基本、授業は北京語となっている。いわゆる北京語標準化政策である。当然これらは地方を軽視し、文化を破壊していく可能性を秘めている。政策が変わり基本吹き替えで映画を撮ることがなくなったという事情が、彼女に影響を及ぼしていることは明らかなのだが、裏を返せばそもそも彼女の年齢からすれば、学校時代、北京語が上手に話せることは必ずしも必要ではなかったはずなのである。その中にあって、美しい北京語ができるということは、むしろこれからの時代プラスのはずなのに、それを敢えて反対の設定にしたというところに、実は北京語標準化政策への批判が隠されているのではと見た。
外山香織/言語の奥深さ度:★★★★★
本作の英題はMothertongue、母国語という意味だ。その意味で言えば、主人公は母国語を持たない。四川省の成都出身でありながら土地の方言を話せない彼女は、掴みかけた俳優としてのチャンスを逃し失意のうちに故郷に戻る。私は地方出身なので、(昔は話せていた方言が話せなくなるってあるだろうか?)と疑問だったが、後で納得した。彼女は幼いうちに矯正されたのだ。俳優は完璧な標準語を喋れなければいけない。方言は必要ないと。
中国の方言は、もはや全く違う言語のようだと聞く。母国語を忘れてしまった彼女は自身のルーツもなくなってしまったのように感じたのだろう。しかし、成都では上海や重慶の方言、フランス語など多様な言語が飛び交うのが日常的な光景だ。故郷に戻ってきて、彼女はようやく「こうあらねばならない」というくびきから解放されたのかもしれない。言語というものは人間の内面、思考にとても深い影響をもたらす。ゆえに、簡単に手放してはいけないのではないか。そんなことを感じさせる映画だった。
第38回東京国際映画祭開催概要
期間 2025年10月27日(月)~11月5日(水)[10日間]
開催会場 シネスイッチ銀座(中央区)、角川シネマ有楽町、TOHOシネマズ シャンテ、TOHOシネマズ 日比谷、ヒューマントラストシネマ有楽町、丸の内ピカデリー、ヒューリックホール東京、東京ミッドタウン日比谷 日比谷ステップ広場、LEXUS MEETS…、三菱ビル1F M+サクセス、東京宝塚劇場(千代田区)ほか、都内の各劇場及び施設・ホールを使用
公式サイト:https://2025.tiff-jp.net/ja/