喜劇映画のビタミンPART5突貫レディ『臨時雇の娘』

愛する女優のために…喜劇映画の帝王が心を込めて捧げた映画

新野敏也さんによるトリビア解説

マック・セネットとメーベル・ノーマンド

ポスターまず、この映画を制作しました、マック・セネットについてお話をします。日本では、チャップリンを発掘した人ということくらいでしか名前を聞かないかと思いますが、本来は大プロデューサーです。アメリカ映画の黎明期には、映画界において、色々画期的な発明をしました。若い女の子をたくさん出せば、それも水着で登場させればウケるだろうと、今日のAKBみたいな発想で海水着美人というのを登場させます。スタントやカーアクションなど、現代に通じるさまざまなものを発明します。プロデューサーとして発掘した人としては、チャップリン、グロリア・スワンソン、ビング・クロスビーなど。また、後に20世紀FOXの役員になった『史上最大の作戦』『我が谷は緑なりき』などのプロデュースで知られるダリル・F・ザナックは、彼の弟子になります。監督では『素晴らしきかな、人生』『ポケット一杯の幸福』のフランク・キャプラ、TV番組『アンタッチャブル』『ローハイド』のテイ・ガーネットを育てました。その他にも特撮とかマット合成を発明したカメラマン、フランク・D・ウィリアムズは、セネットの弟子をしていた時代にそれを発明しております。このように色々と多くの人材を輩出しておりますので、アメリカでは、映画の父、喜劇映画の帝王と言われています。

その人物が独立した時から育て、生涯愛し続けた女性が、今回の主演女優メーベル・ノーマンドです。2人は本来結婚する予定だったのですが、喧嘩して別れてしまいます。結局、マック・セネットは結婚しないまま生涯独身となりました。メーベル・ノーマンドのほうは気まぐれで色々な人と浮名を流し、最後には酔っ払った勢いで結婚をするのですが、生涯別居のまま暮らしたということです。その間に、彼女は殺人事件に巻き込まれてしまうということもありました。

新野さん2メーベル・ノーマンドが交際していた映画監督が誰かに殺されてしまったのですが、一番最後に会ったのが彼女だったということで、嫌疑をかけられます。その時代アメリカでは、映画は新興勢力ですので、その成金の映画スタアが大スキヤンダルを起こしたということで、聖職者や教育関係者がいっせいに、メーベル・ノーマンドの映画を2度と上映しないようにという運動を始めます。それに対してマック・セネットは、何しろ自分が一番愛したメーベル・ノーマンドでしたので、何とか助けたいと思い、頑張って作ったのが、『臨時雇の娘』になります。マック・セネットが彼女のために作った映画は、これが最後です。そしてメーベル・ノーマンドはこれ以降、B級路線の映画に出ることで、辛うじてハリウッドに残るような形でしたので、ハリウッド製作の超大作という映画はこれが最後になります。

エキストラ9メーベル・ノーマンドは今となっては、日本ではまったく知られていません。1つには若くして亡くなってしまったということもあります。この事件では、犯人が結局わからないままですが、結局彼女は映画界を干されてしまい、完全にはカムバックできないまま、34歳位の年齢でなくなります。位と言ったのは、生まれた年が不明確なためです。丁度トーキーが始まったくらいの時代に亡くなっていますので、映画史では、特に日本では、忘れ去られてしまいました。ただ、メーベル・ノーマンドの全盛期の人気がどれくらい凄かったかと言いますと、彼女の主演作品は、有楽座という劇場で、単独でロードショー公開されていたということで、窺い知れるかと思います。これは現在の東宝の映画館の有楽座ではなくて、数寄屋橋にかつてあったものです。元々歌舞伎座に対抗し、新劇の牙城として作られたもので、1500席くらいあった超一流の大劇場です。ちなみに、『臨時雇の娘』は、アメリカでは殺人事件の関係で一時公開禁止になりましたが、日本では、彼女の作品はドル箱だったので、先に上映しています。

NEXT 『臨時雇の娘』製作につき、マック・セネットが抱いていた思いとは

1 2 3 4

トラックバック 2件

  1. インタビュー記事が掲載されました。「映画と。」 | むらさきmusicラボ

    […] 「映画と。」 […]

  2. VANILLA QUEST » 「映画と。」掲載

    […] 喜劇映画のビタミンPART5突貫レディ『臨時雇の娘』 […]

トラックバック URL(管理者の承認後に表示します)